8.フリーランスという働き方

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ぼくが経営コンサルタントとして初めて配属されたSAPの保守・運用プロジェクト、その現場はマルチベンダーで構成されていた。マルチベンダーとは書いて字の如く、ひとつの案件に複数の会社が参画することである。

この案件の場合だと、システムの導入を行ったぼくらの会社から4名、保守・運用のフェーズになって入ってきたシステム会社から十余人、それに加えてひとり、30歳過ぎのフリーランスの人がいた。

今でこそ個人事業主のコンサルタントはそこら中に溢れているが、肌感覚としても2010年代初めの当時は今よりだいぶレアな存在だったように思う。そんあ稀有な存在であるSAPエンジニアである、Lさんが今回の主役である。

フリーランスのLさん

Lさんの契約金額

Lさんはその契約形態以前に、ぱっと見で目立つ存在だった。

なにせ、眼鏡をかけて黒っぽいスーツを着たSEばかりの作業部屋の中にあって、ひとりだけ明るい髪をしていて、ジャケットを着ることも稀。いつも最低限のドレスコードだけ守ったような、ラフ寄りのビジネスカジュアルといった出で立ちだった。

言動も軽くおちゃらけた感じで第一印象はやんちゃなアンちゃんだったが、その気さくな性格のため職場での交友関係が広く、博士先輩、ワンさんを含めたぼくたち4人でランチに繰り出すことも屡々であった。

そのランチの場で、生まれも育ちも大阪というLさんは、大阪人らしい明け透けな物言いで、それこそ聞いてもいないような女関係の話から、仕事の生々しいエピソードまで様々なことを語ってくれた。

生々しい話の筆頭はお金の話である。

Lさんは自分が貰っているフリーランスるとしての契約金を微塵もぼかすことなく教えてくれた。これはぼくが質問した訳ではなく、ぼくが参画した時には周知の事実となっていたのだ。

その額、月に120万円。

その数字のインパクトに、社会人1年目のぼくは大いに驚いた。

月給120万円ということは、年収換算で1,440万円ということになる。そんな大金、当時の弊社では余程出世しない限り望めない金額だった。

「すごい稼いでますね!」

驚いたぼくがそう言うと、Lさんは「いや?この金額でも数年前のSAPバブルの時よりは下がってるし、それに自社で人を雇うより安いんやで」と事も無げに返した。

聞けば、この時分から数年前にあったと言うSAPバブルの時は月に150万円くらいのオファーがごろごろあったと言う。

フリーランスは研修不要かつ、有給休暇も福利厚生の負担もない。何より業務委託という性質上、会社の都合でいつでも首を切れため、フィーは高くなりやすいのだと、Lさんは高給の仕組みを説明してくれた。

それらのデメリットがどれ程のものなのか当時のぼくにはイマイチぴんと来なかったが、ただぼんやりと、月給120万円貰えるのであれば十分にお釣りが来そうだなくらいには考えていた。

X社の給料事情

ここで比較対象のため、X社の給料事情について余談を挟みたい。

賃金インフレで昨今の給料とはかなり乖離のある数字だが、ぼくが入社した当時、X社の初任給は27万円であった。これに残業代と年2回のボーナスを合わせた金額が給料となる。

上記の基本給だと、残業代は1時間当たり約2,000円。ボーナスは本人の評価にもよるが、だいたい月給の3か月分だったため、新卒2年目の給料は月平均45時間の残業をしたとして、600万円程となる。

ちなみに1年目は研修期間にボーナスがつかない等の制限があるため、もっと控えめな数字に着地する。

2年目以降は毎年少しずつ昇給するものの、上がり幅としては基本給が毎年1万円アップする程度と大したことがない。

それが5~6年目にシニアコンサルタントという現場リーダークラスに昇進すると、一気にアップする。

この現場で言えば、ワンさんがその「シニコン」にあたり、年収は800万円から、本当に高評価、かつ高稼働であれば1,300万円ほどの給料になる。

実際にPMのMさんはぼくが入る前年まではシニコンで、最高の人事評価と長時間の残業の合わせ技で年収1,300万円になったとのことだった。(ちなみにマネージャーに昇進したことで、残業代がつかなくなったので給料は下がってしまったらしい)

どうあれ、Lさんの年収1,440というのはX社のPJメンバーの誰よりも高い金額であったことは間違いない。

Lさんの転職チャレンジ

Lさんは自称、名前を言うのも恥ずかしいようなFラン大学出身だと言う。

そこから、事務機器の営業職に就いて営業スキルを身に着けた後でシステム会社に転職し、そこで5年ほど働いてSAPを学んだ後にフリーランスに転身した。

「もし俺が大手のコンサルファーム出身ならもっと高単価で契約結べんねん。つい最近も、大手ファーム出身ってこと以外は俺とたいして変わらんようなスキルの知り合いが130万円で契約結びおった……やっぱ、人間学歴やな。学歴が高い人間が一番偉い。いい大学に行いって、新卒で大手のコンサルファームに就職する。そんで、箔付けてから独立するのが一番や」

学歴コンプレックスの裏返しなのか、Lさんはよくそんなことを口にした。Lさんの歳になってから学歴をどうこするというのは現実的なではないが、SAPの実務経験があるのだから、フリーランスから大手のコンサルファームに転職することは出来なくない。

本人もその事に気付いたのか、出会って数か月が過ぎた時期に、突如としてLさんがBig4(世界4大会計事務所系列のコンサルファーム)の中の1社にエントリーしたと報告してきた。

エントリーシートは無事に通過し、ある時まで面接も順調だとの報告があがっていたが、結局Lさんはこの会社からオファーを得ることが出来なかった。年収が折り合わなかったからである。

仮にLさんが入社するとなると、年齢的に管理職であるマネージャーか、現場リーダークラスのシニコンとなる。

SAPエンジニアとSAPコンサルタントの境目は曖昧で、SAPコンサルタントと経営コンサルタントの境目も時に曖昧なことがあるのだが、どうあれシステム会社が出自のLさんでは経営コンサルタントは未経験と見做される。そして業界未経験のLさんがいきなり管理職になることは現実的ではないため、スタートの職位はシニコンだ。

当時の相場で、Big4におけるシニコンの給料レンジはX社と変わらず800万円から最高でも1,300万円くらいで、採用担当者がLさんに出せるのはその中間よりちょっと下くらいだったのではないかというのがぼくの予想である。

どうあれ、Lさんの当時の年収であった1,400万円超というのは世界のBig4であっても予算超過であり、年収を妥協できなかったLさんが不採用となったのはさもありなんと言ったところ。

会社員となれば大幅な収入減は避けられそうもないと痛感したからか、Lさんがエントリーしたのは結局この1社だけだった。

 

最後に四方山話をひとつ。SAPであれなんであれ、特定のパッケージシステムのフリーランスというのは、専門性があって手に職をつけられているようにも見えるが、実際にはリスクが高く、常に自身の立ち回りに注意と労力を払わなければならないという私見を述べおく。

そもそも、求められるパッケージシステムの移り変わりが激しく、一時持て囃されたシステムが数年後には見向きもされなくなるというのはままある話なのだ。

つまり、せっかく特定のシステムを極めても、そのシステムが廃れてしまっては商売あがったりということである。廃れないような、メジャーシステムを担げばよいではないかと思うかもしれないが、その見極めがこれまた難しい。

例えば、2010年代前半の時点で、「日本の主要企業ではSAPの導入が粗方終わったし、他のパッケージもいろいろ出てきているし、今後SAPの需要は下火になっていくんじゃないか」という声が一部からあがっていた。

しかし蓋を開けてみれば、S/4 HANA(SAP第4世代)の興隆、買収による拡大、他社とのアライアンスによる利便性の向上、競合他社の劣後といった、10年前には予想していなかった事が次々と起こり、結果として10年後の時点でもSAPは旺盛な需要を保つことに成功している。

そしてそのSAPでさえ、この10年でいくつものパッケージシステムが姿を消していったことを鑑みるに、10年後どうなっているかは分からない。

もしかしたら、SAPのエンジニアやコンサルタントには然したる価値がなくなっているかもしれないし、反対に今以上に求められる存在になっているかもしれない。

仮に前者の場合でも、企業に所属していれば、別の領域にコンバートしてもらったり、リスキリングを受けさせてもらうことで自分の居場所を確保し得るが、個人でそれは難しい。

企業が即戦力を求める都合上、自分の経験がある領域でしか受注できない業務委託の性質と併せて考えると「自分が過去にやったことがあることしか仕事に出来ない一方で、新しくできる領域は広がらない」のがフリーランスと言える。

その瑕疵を補うためには、人脈作りや情報収集などの無報酬労働が定期的に必要となる。

当時はLさんのことをただ羨ましいと思っていたが、LさんはLさんでリスクを取り、見えないところで努力していたのだろうと、今になれば思う。

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