X社の新卒研修は4月に(どういう基準で振り分けられたかは不明の)クラス毎による配属前研修が行われ、5月と6月に配属先毎の研修が行われた。
前者には、名刺の渡し方から始まるビジネスマナー講座、財務諸表の見方や議事録の書き方、エクセルでの資料作成といった基礎スキル講座、更にはレゴブロックを使ってチームプレーの大切さを学ぶプログラムや、CSRとしての富士山でのゴミ拾いなんかも含まれていた。
当時のぼくは(同期の大多数と同様に)議事録やエクセルが合格点に達さずヒイヒイ言っていたが、今思い返せばお金を貰いながら勉強させて貰えるのだからこれほどありがたいことは無い。
後者の配属先毎の研修は、どのユニットも専らシステムの勉強である。
これは、当該のシステム会社から派遣されてきた講師のレクチャーを聞き、(例えば10日間の内容がスケジュールの都合で7日間とかに圧縮されているせいもあり)半分以上意味も分からないまま指示された通りにプラグラミングを行うという、ITのバックボーンがない人間にとっては地獄の様な(反対に大学で情報工学を専攻していた人間には退屈な)ものであった。
今回はITユニット、マーケティングユニット合同で行われていたOracle Master Silverの試験が終わり、システム研修がひと段落ついたところからである。
続く研修
Oracle Master Silverのテスト後には、東南アジア某国での1週間の海外研修があった。
こちらは日本のとある有名政治家にもコーチングをしたことがあるというMBA持ちの白人講師から課題を与えられ、海外支社の新人社員たちと一緒になって取り組むというものであった。やり取りはもちろん全部英語である。
一部で泣き出す女性社員がいるなど、特に英語が出来ない人間には辛い内容となっていたが、一定以上の英語スキル持つ人間にとってはご褒美の様な研修であった。
海外研修が終わった7月の中旬より、ぼくが所属するマーケティングユニット以外の同期は、次々にプロジェクト(以後PJ)現場に送り込まれていった。
一方でぼくたちには、引き続きセールフォース(という顧客関係管理系のパッケージシステム)の研修が行われ、認定アドミニストレーターと、その上位資格である認定セールスクラウドコンサルタントの資格を取るようにとの業務命令が下った。
認定アドミニストレーターの資格は同期の6人全員が一発合格だったが、認定セールスクラウドコンサルタントはぼくにとって鬼門であった。
まず前提として、この資格試験には市販の参考書や問題集といったものが存在しなかった。
今でこそセールフォース社によって提供されている充実の学習サイトがあるが、当時は不自然な日本語の公式マニュアルと申し訳程度の模擬問題、検証用の仮想環境、それに過去に試験を受けた先輩社員が記憶を頼りに作成した過去問集(CBT方式のため問題は持ち帰れないし、問いに対する正答も分からない)しか頼れるものがなかったのだ。
研修も、それまでのもののようにシステム開発元のITベンダーから派遣されてきた講師によるものではなく、1つ上の先輩社員によるふんわりしたレクチャーであった。
それでも同期6人の内、2人は一発合格だったし、3人は2度目で合格していた。
そして唯一、ぼくだけは合格までに3度の試験を要したのだ。
Oracle Masterに続く恥辱だったし、会社が負担してくれる受験料は2回までだったので、3度目は完全に自腹である。
早過ぎる挫折
このセールスフォースの試験不合格は、ぼくのファーストキャリアにおけるターニングポイントとなった。
同期や先輩社員からは物覚えの悪いやつというような、直接言葉にはしなくとも侮るような発言をされるようになり、上長からはちゃんと勉強しろと責められた。
そんなこと言われても、ぼくはぼくなりにちゃんと勉強して試験に臨んでいたし、不合格と言われても当時は自分が間違った問題どころか点数すらも表示されない形式だったため、どこが悪いのか分からなかった。
それまでの自分にとって試験とは回答・解説ありきのものであった。
問題集を解き、回答と解説を読んで理解を深めるという勉強法を学生時代からずっとしてきたため、問いに対する回答と解説が無い試験にどう対処していいか分からなかったのだ。
博士先輩
「おまえちゃんと勉強してんのか」と声を掛けてきた、最初のPJで一緒になったひとつ上の先輩にそのことを言うと、「勉強っていうのはそういうもんだ。分からないなら自分で調べろよ。当たり前だろ」とかなり強い口調で非難された。
余談ではあるが、会社がセールフォースを担いで有資格者を増やし始めたのがこの1年前からだったため、新卒に資格取得を課すようになったのもぼくの1つ上の代からであった。
そしてこの先輩は部署で最初に受験し一発で合格したこと、もっと言えば東大出身で、そのまま東大の大学院で修士号、更に博士号まで取っていたことにも強い自負を持っていた。
「答えが用意されてない問いに対しても自分で調べて勉強する習慣があったからこそ、俺は大学も現役合格だったし、博士号も一発で取れたんだ。博士号取る大変さに比べたら、セールフォースなんてちょっと勉強すればいいだけだろ」と、PJで毎日顔を合わせるからこそ、聞いてもいないような自慢を聞かされることも屡々であった。
ついでながら、この先輩は余程自分が博士であることに誇りを持っていたのか、ある日会社から支給されている名刺の肩書に「博士」を加えたいと言い出した。
そしてどこで知ったのか、博士号を持っている役員の中には名刺に博士の肩書が入っている人がいることを突き止め、自分の名刺にも博士と入れて欲しいと人事に掛け合うことまでしていた。
結局この先輩の名刺にも博士の肩書が追加された訳だが、その博士号が仕事に全く関係ない細菌学に関するものであると聞かされれば、この件は完全に先輩の自己満足でしかなかった。
暗雲
セールフォースの試験に2度も落ちたことは、会社でのキャリアに対して他にも意図しない悪影響をもたらした。
試験に落ちた場合は、部署で取り纏めをやっている担当者になぜ落ちたのかをレポーティングしなければならない決まりが1度目の試験の後に出来ていた。
しかしそのルールをちゃんと把握出来ていなかったことにより、当時のぼくは落第後も担当者への報告を放置してしまっていたのだ。
そのことで担当者になっていた社員からは厳しく叱責され、更にその陰では本人の耳にも入るくらい、ぼくへのネガティブな流言が飛んでいた。
遅ればせながら担当者への報告を行ったのだが、不合格の原因を書く欄に記載した「事前に提供された過去問に載っていない問題が出題され、それが解けなかった」というぼくの一文はどういう訳か「事前に提供された過去問が悪かった」と書いたことにされ、周囲に広まっていた。
一応、「おまえ、自分の不合格を過去問のせいにしたんだってな」などと言ってきた人には原文を伝えて反論しておいたが、それがどこまで伝わったかは分からない。
昔から悪気無く相手を怒らせたり不用意に相手に敵意を抱かせてしまうことがあったことを鑑みるに、恐らくぼくは人から誤解を受けやすく、立ち回りも不器用なのだろう。
しかし、試験に落ちたことがキッカケでここまで会社での自分の立場が悪くなるとは、受験前のぼくには予想だにしていなかった。
会社としては前年から担ぎ始めたソリューションで、ベンダーとの契約上、有資格者を一定人数揃えることがどうしても必要だったらしい。
ある時期までに若手が資格を取れなければ今度は中堅社員が資格を取らなければならなかったらしく、だからこそ中堅社員からぼくへの圧力も強かった。
静かな退職
元より仕事に対するモチベーションや高い志なぞは持ち合わせていなかったぼくではあったが、このセールフォースの件は組織に対する帰属意識や愛着を萎えさせたことは間違いない。
傍から見ればくだらない話ではあるが、そんなくだらない事のために、ぼくは社内で出世していく道を早々に諦めてしまった。
同時に、仕事に対するスタンスも変化した。
それは、出世を諦めた以上、もはや会社や上司からどう思われようが関係ないという前提のもと、最小限の労力で最大限の効果を得ようというスタンスである。
それは、仕事に対して可能な限りの省力化対応で臨みつつ、金銭的に貰えるものだけは貰っておこうというもので、それは最近にって人口に膾炙するようになった、静かな退職(Quiet Quitting)そのものであった。
「そっちがぼくのことを責めて侮って軽く扱うって言うなら、機を見ていつでも会社を辞めてやる。それまでは給料をもらいながらの消化試合だ」
入社し1年目にして、ぼくはそんな捨て鉢な考えを抱くようになっていた。
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