入社式の時点において、ぼくにはひとつの確信があった。
それは、凡そ120名の同期の中で自分ほどニートに近い人間は存在しないだろうという確信である。
なにせ、入社初日は偉い人のスピーチとオリエンテーションを黙って聞いていればいいだけの一日だったのにも拘らず、ぼくが家に帰って真っ先にしたことと言えば、生活保護の受給要件を調べることであった。
就職活動をしていた時から一貫してぼくは働く意欲を持ち合わせていなかったため、実際に入社するまでは自分が社会人になることに対してリアリティを持てていなかった。
新社会人として初出社を済ませてようやっと、「働く気もないのに周りに合わせて就活して、気付いたらこんなところに来てしまった」とぼくは自分が置かれている状況を理解するに至り、同時に逃げ出したい気持ちでいっぱいになっていた。
「こんな会社、もとい労働者であることそのものを可及的速やかにヤメてしまいたい」という内なる欲求を社会人なり立ての時点から言動の節々に滲ませていたぼくであるが、しかし同期の中にはそんなぼく以上にぶっとんだ、常識破りの連中が何人もいた。
今日の内容は、そんなぼくの愉快な仲間たちについてである。
同期たちのバックボーン
まず、同期120名の構成について話をしよう。
男女比は3:1。
学歴としては上は東大や海外の大学院、下は偏差値50未満の私大から来ていた人もいたが、最大派閥は早稲田と慶応であり、その2校で同期の約半数を占めていた。
確かに、ぼくが新卒だった時分から5年ほど経ったあたりからは、世の中の需要増大を背景とした「コンサルバブル」による間口の拡大、及び就活市場における「コンサルブーム」によって、優秀な学生がこぞってコンサル業界に入ってくるようになってきた。
一方で、当時のコンサル会社は今以上に世間から「胡散臭い」と思われていた節があり、外資系でも戦略系でもないX社に態々入ってくるような人間は比較的高学歴が多かったとは言い条、実態としては少し特殊な事情を持つ人が多かった。
ぼく自身、それ以外に選択肢が無かったためにX社に入ったのだが、ただし心の中では「外資系のもっと華やかな会社か、もっと言えば戦略系に行きたかった」と就活が終わってから新卒1年目くらいまでは何度も思った。
自己紹介と崖っぷちのナンバーワン
表面的なスペックとして自身の学歴はちょうど真ん中あたりであったが、しかしぼくは当初、周りの同期が全員自分よりも優秀なのではないかと疑いを持っていた。それはあまりにも意欲と志が低い状態で入社してしまったことに加え、ガクチカを捏造して面接をすり抜けてきたこともあって、自分が場違いなところに来てしまったのでないかという心配故の心理だった。
しかし、それが杞憂であることはすぐに判明した。
入社して最初の1か月の研修は、学校よろしくクラス毎に行われた。1クラスは30名だったので、同期は都合4クラスに分かれて研修を受けた。
そのクラスで「自分はこれだったら誰にも負けないという、ナンバーワンのものを言ってください」という但書の付いた自己紹介を求められたのは、入社2日目の事だった。
同期、もといクラスメートはひとりずつ教室の前に立ち、人によってはインパクトのある、また人によっては無理やり捻り出したような自己紹介をした訳だが、その中に「ぼくは崖っぷちのナンバーワンです」と宣った男子がいた。なぜ崖っぷちなのかと言えば、内定者課題である3つの資格をまだひとつも取っていないからだと言う。
その突然のカミングアウトにはクラス一同で笑ってしまったが、破れかぶれの自己紹介をした彼の存在は、ぼくにとっては大きな安心材料となった。
どれだけ保守的に見積もろうと、彼さえいれば自分が集団の中で一番の無能と見做されることはないだろうし、また彼が分かりやすい無能さを晒して悪目立ちしてくれたことで、ぼくの意欲の低さややる気の無さが露呈することはそうそうないだろうとの目算が立てられたからだ。
また、これは後から話を聞いて分かったことなのだが、内定者課題の資格を全部持っているのは新入社員の1/4程度だったし、一つも持っていないというのも崖っぷちのナンバーワンたる彼以外に数名いた。
コンサル志望の学生のうち、より優秀な人材は外資系や戦略系に流れてしまうため、従業員数千人規模も大手コンサルティング会社とは言っても、同期のレベルはその程度であった。
最初の離籍者
「同期120名の内で自分が一番の無能であり、そのことが露呈して周囲から後指を指されるのではないか。惨めな思いをするのではないか」という心配は崖っぷちのナンバーワンがいてくれたお陰で早々に解消することが出来たが、当時のぼくにはもう一つの心配があった。
それは「自分が一番最初に会社を辞めるのではないか」という不安である。
仮にその不安が現実となれば周囲から、「アイツは一番に会社をやめた根性無しの不適合者」というレッテルを貼られかねないし、そもそもの話として、辞める時の手続きや第二新卒としての就活はどうすればいいのか、相談できる同期がいないということになる。
入社する前の時点から、ぼくは自分のファーストキャリアが長くは続かないだろうと確信めいた予感を持っていたが、それでも本当に会社を辞めるのであれば、自分と同じ立ち位置からのセカンドキャリアの事例がある程度揃ってから、目立たずひっそりと辞めたかったのだ。
そんな個人的事情により、ぼくは同期のうち誰が最初に会社を辞めるのか、辞めそうな人はいないか周囲に一定の注意を払っていた。
入社2日目から2日連続で欠勤したクラスメートがひとりいて「もしかして、もう?」なんて淡い期待を抱いたりもしたが、彼は腹にウィルスが入ったとかで本当に具合が悪かったらしく、すぐに復帰した。
最初の退職者は、ドイツ出身のとある女性社員だった。より正確に言うと、この社員は退職ではなく、社会人生活がスタートして2週間余りで入社取消となっていた。
この同期が入社取消処分を受けたのは、学歴詐称によるものだというのが事情通の言である。つまり、大学を卒業できる見込みがないのに、履歴書には見込みと記載していたと言うのだ。
大学の卒業する・しないなぞは会社に卒業証書の提出が義務付けられている以上誤魔化しようもなさそうなものだが、彼女は卒業に必須の卒業論文を期日になっても提出せず、大学に対して「日本からエアメールで送った。届いていないとすれば郵便事故があったのかもしれない」と言い、一方で会社側には「大学で卒業論文の確認が遅れており卒業証書はまだ発行されていないが、じきに提出できる」と説明していたらしい。
そして嘘が露呈し、入社が取り消されて初任給も貰えないまま本国に帰ることになってしまった。
彼女がなぜそんなすぐにバレる様な嘘をついてまで日本で就職したのかは分からないが、こうして同期最初の離籍者が出た。
自己都合退職第1号
真に最初の退職者が出たのは、社会人生活が始まって3か月が過ぎようとしていた6月の半ば、新卒研修が佳境に差し掛かった時分であった。彼はとある旧帝大の薬学部出身で、薬剤師の資格を持っている人物であった。そんな彼は経営コンサルタントとして製薬会社の戦略立案をしたいという思いで入社したのだが、入社してから2つの事実に気付いた。
ひとつは自分が入った会社はIT案件がほとんどで、戦略と呼べるようなプロジェクトは数える程しか扱っていない事。
そしてもうひとつは、製薬企業のクライアントが存在しない事である。
どうやら入社前の時点で面接官か人事から「戦略系の案件もあるし、製薬企業も開拓中」というようなことを(温度感はわからないが)それなりにポジティブなトーンで聞かされていたらしいのだが、反面、彼もぼくと同じように自分の内定先はIT屋なのではという疑いを持っていたと言う。そして改めて入社してみて、ここにいても自分のしたいことは出来ないだろうと悟ったことで早々に退職を決めてしまった。
セカンドキャリアはBig4と呼ばれる外資系のコンサルティングファーム内のひとつで、そこには製薬企業のクライアントも戦略案件もあるので満足だと、退職後に会った彼は語っていた。
どうあれ、彼が120名いる同期の中の最初の退職者であり、研修期間中に辞めた唯一の人物だった。
余談だが、経営コンサルタントとして企業のCXOアジェンダに関わろうと思って入社したものの、入ってみたらIT一辺倒でそのギャップが許容できないというのは退職理由の最たるもので、特に期初に於いて有り余るやる気と志の高さを周囲にアピールしていた人物に多かった。
中には、最初の自己紹介で「経営コンサルタントとして経験とスキルを身に着けて、将来は地元の地方創生に携わりたい」と目をか輝かせていた女の子が退職を引き留めに来た役員に対して、「ここにいても私は成長できない!私の成長を止めないでください!」と啖呵を切ったという話まである。聞けばファーストプロジェクトからひたすらデバック(システムの動作検証)ばかりさせられていたと言うのだから、彼女の言い分も分からなくはない。
大学に戻った同期
研修中に競合他社の内定を取って辞めた彼ほど劇的では無いものの、よくよく聞くとびっくりするような理由で会社を去った同期がいた。
彼はとある旧帝大の大学院出身で、修士を取ってから博士号に挑んでいたこともあり、2年遠回りしているぼくよりも更に一回り年嵩の存在であった。
そんな彼が会社を辞めると言ったのは、入社から1年半が経過した時期である。
会社を辞めてどうするのか訊くと、大学院に戻るという予想外の答えが返ってきた。
「元々大学院はいつでも戻れるように休学にしてたんだ。この1年半はちょっとした社会見学みたいなものだったよ」というのが彼と交わした最後の言葉である。社会人2年目ともなれば会社に対する不誠実さを隠さなくなる同期も珍しくないが、この同期が入社前の時点から手を打っていたことには流石のぼくも驚いた。
後から振り返ってみればの結果論になるが、入社時点でぼくが抱いていた、自分の意欲や志の無さに対するある種の劣等感だったり、それが露見することに対する心配なぞは見当違いもいいところだったのである。
次回は部署配属について記す。
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